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大学生やってます

ベルナルドベルトルッチの「ドリーマーズ」を観ましたよっと

映画狂の兄妹、映画狂の主人公の男。3人は映画という繋がりで結び付けられる。3人、と言うよりかは2人と1人。近親ギリギリの兄妹は2人で一つ。主人公の青年はプラスアルファに過ぎない。2人の兄妹の中にはどうしたって入れない。美少年である兄と美少女である妹。双子の彼等は赤の他人である青年を招き入れる。まるで仲間だとでもいうように。青年は錯覚する。自分は認められているのだと。もちろん認めているのだろう、兄妹は、自分らと同じように映画と生活と政治を密接させている彼の存在を受け入れたに違いない。だけど根本的なものは違う。所詮青年は蚊帳の外。3人で一つ、にはどうしたってなれない。息をするように暮らしてきた彼ら兄妹の中に含まれることなどあり得ない、甚だ傲慢で馬鹿馬鹿しい。青年は映画狂の一員として兄妹の生活に潜り込み、寝食を共にする。次第にエスカレートする彼等の言動に、戸惑いながらも馴染んでいく青年。ああ、ルーヴル美術館を男女3人で駆け走るあの名シーンをいとも簡単にオマージュしてみせる軽快さと粗末さは、ベルトルッチ監督ならではの色気がないと成立しない。この踊りをする映画は?と問われて答えられない兄に、お仕置きとして罰を下す女のサディスティックさにうんざり。双子の彼等は幼稚すぎる。映画という夢の世界に浸って、現実をみようとしない。見ているのは政治でもなんでもない、夢のある理想の映画の世界。それは決して平和だとかっていう意味じゃない。映画のような政治社会ならそれを望むし、映画のようなスリルならそれをやってのける。戯れにお遊び。兄妹の魅力に巻き込まれるように、青年は一緒になって騒ぐ。でもそれは本当の魅力なんかじゃないことが分かる。子供が子供らしくはしゃぐ姿がきらきらして見えるように、夢の中で生きている彼等は現実で生きている青年にとってまさしく未来への展望。部屋の中に夢を構築して、高校生らしからぬ遊びで満喫する。彼ら兄妹の夢の世界は終わらない。ラストになってはっきり目が覚める青年。それまでも節々で分かっていたことでしょう?これはおかしいって。リアルと夢の境目をぐちゃぐちゃにしてしまった。元からぐちゃぐちゃだったのかもしれない。同じ映画狂として、生きる世界が同じようで異なっている。ドリーマーズな彼等についていけない。夢見がちはいつだって誰だって何かを魅了するけれど、そんなの永遠に保つことなどできない。ここまできて、気づけたのが不幸中の幸い。

 

ベルナルド・ベルトルッチ監督「ドリーマーズ 」鑑賞記

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