hellobonjour

大学生やってます

スワロウテイルを観ましたよっと

イェンタウン、イェンタウン。呪文のような言葉の響きに、無国籍多国籍の人たちの感情が込められている。日本語と中国語が飛び交う。混ざる英語。流暢なのかカタコトなのか区別のつかなさがむしろリアリティ。アゲハの素朴ながら強さのある芯と意志に、CHARA演じるグリコは惹かれたんだと思う。みんなが“自分”を持っていて、それがこの映画の強烈な魅力だ。歌を歌うグリコ、グリコの歌を誰もが応援している。裏ではカセットテープを巡ってヤクザたちがひしめいている。グリコたちと接触するかしないかギリギリのラインが保たれる。お金。この世はお金で回っている。お金を中心に生きて、お金を中心に死んでいる。殺すヤクザに殺されるヤクザ。胸に蝶々を宿した少女は、神様なんかいないと嘆いてもおかしくないあの世界で多分きっと神様と蝶々に助けられながら生き延びた。運の強さはアゲハもグリコも持ち得ていて、それはある意味才能だと知る。グリコは怯えていて、だけど輝くべき存在。アゲハはどこか虚ろにぼんやりとしながらも、理想の日常、素敵で他愛ない日々を得るためにしっかりしている。自分の居場所を確保するためにがむしゃらに動く。お金による損失、お金による再生。イェンによって壊された居場所のために、イェンを使って再構築させようとするグリコの、真っ直ぐな道外れ。お金で解決なんてできない、だけど今の自分にはお金しかない。

グリコの恋人であるフェイフォン。天国はここ地上だと言ってのける彼の、グリコを思って身を引く選択はグリコとアゲハにしか理解ができない。冷静さを欠かさない物語のキーパーソンであるランの「今日はあんたにとって厄日だったな」と告げるシーンは圧倒的に格好良い。リョウリャンキの、人を殺すことに躊躇のない目つきは圧巻。相手を殺すなら自分も殺される覚悟でいけという信念を感じる。桃井かおりが良いアクセント。ただのやかましい記者じゃない。大塚寧々のけたたましい笑い声が、過去のあの部屋に響く。

「汚れた世界に悲しさは響いていない」とグリコが歌う。こんな薄汚くなってしまった場所には悲しむ心すら生まれない。悲しむより先に生きていかなくちゃいけないんだから。泣いてる暇なんかないのよ、とでも言うようにグリコが自分の胸のIDカードを宥める。グリコが、名前をあげるわとマッキーペンで少女の胸に芋虫を彫る。マイネイムイズ・アゲハ。芋虫のアゲハ。アゲハは蝶々になる。自分でなりに行く。本物のタトゥーを彫る。涙を流すアゲハ。アゲハはもうアゲハじゃない。何処へでも行ける。行きたいか、生きたくないかだ。行きたくて生きたい彼女たちは、トラックからお金を撒き散らして去っていく。

 

 

スワロウテイル岩井俊二監督 鑑賞記

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