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大学生やってます

ハロをウィンしよう

渋ハロ、というワードが蔓延しているまっ最中、ちょうど今乗っている電車で向かいのひとが広げている新聞にも「ハロウィーン 渋谷騒然」との見出し記事が。きたる明日はハロウィン当日、1週間の中日に渋谷はどうなることやらですな!

 

 

若いひとを中心としたこのイベントに、当然年齢層の高いひとびとは苦言を呈しています、もちろん同じく若いひとも、「ハロウィンにコスプレするひととは友達になれない」「渋谷に行きたくない」といった見方をかまえるなかで、日本は改めてアレンジがうまいなあと思う。

 

 

創りあげるといった創造力より、その創り上げられたものを自らのものにするといったほうの能力が高い日本、外国製のものをあんなふうに、「渋谷のハロウィン」といった日本の文化とまでいえるようなものに仕立てあげられるのはすごいなあと素直に感嘆です。だって、テレビみてたらさ、「この渋谷ハロウィンのために日本にきたの!」という外国人がわんさかなんである。クリスマスマーケットのためにシーズンを狙ってきたりするのと同等なんである。ハロウィン!それを!わざわざ!日本で!そして渋谷で!いや、来る人は、わざわざ、なんて言いかたじゃないのかもしれない。むしろ!そのために!

 

 

若者文化、というとチープに聞こえやすいかもしれないけれど、その若者文化で世界に発信している、世界となにかしら共通している、つながっているというのなら、こんな最上な舞台はないのではないかと思える。だって渋谷へいけば、いまの日本のすべてがわかる。政治とか、経済とか、そういうことじゃなくて、まあでもものの回りかたとかみてたら経済が見えてくるのだろうけれど、なんというか、空気というか、アメリカでいえばニューヨークへきた!みたいな、発信源に触れられると思う。もちろん日本のいいところなんて其処彼処にあって、渋谷がすべてじゃない。渋谷がすべてだと思えるほど世界は狭くないし、そんなつまらない見方はない。だけど渋谷は間違いなく日本の文化の一部で、それをつくっているのは若者で、それは若さゆえに、若さの感性ゆえにできることだと思っている。

 

 

ハロウィンパーティ、素敵なドレスを着て、シャンパンをあけて、最高な音楽をかけてきらきらくるくる踊ってうたって楽しみたいんだけど、これって別にハロウィンじゃなくてもできるし私の考えているパーティなんてこんなものよ、自分の想像力に笑ってしまいながらも満足なんである。🎃👻