hellobonjour

大学生やってます

可愛いは正義であるんですわやっぱり

可愛い女の子がくるよ、と聞いて、わくわく楽しみ浮き足立つのは女の私だけではないはず。

男の子はもちろん、女の子も、どんな子がくるんだろうと気になるに違いない。可愛い、とは、どういうことなのか。可愛さのもつ力とはどういうものなのか。キレイなこがくるよ、と聞くと、物怖じするのはなぜだろう。可愛い子、と聞くと身を乗り出してみたくなるのに、綺麗な子、と聞くと、いったいどういう人物なのか少しこわくなる、のは、これは私だけ?

 

 

綺麗、と可愛い、は違う。みんなは「綺麗」よりは「可愛い」と言われた方が、年をとっても言われたいセリフだとよく言う。「綺麗」は衰えるというイメージが湧くらしい。可愛い、はいつまでもそこにあるというのだろうか。可愛い、こそ、実はたいそう難しい品格なんじゃないのだろうかと思う。美しいものは美しいけれど、可愛い基準は変わっていく。大人になって、年をとって、いつまでも「可愛い」でいられるひとなんて、生まれ持ったものと、それを持続させていく自覚と努力と力がなければ、かなわない。可愛いひと、というのは顔の造形だけに限られているものであると、私は思っている。私がなりたいのは、「綺麗」で「美しい」ひとだ。顔だけではない、表情も、仕草も喋りも動作も考えも生き方も、内側から醸しだせるような素敵なひとになりたい。顔はもちろん、綺麗で美しいひとになるのは、相当な努力と心持ちが必要なのである。ってなにをエラソーに語っているんだと自分で言いますが、そう自分で自分を奮い立たせることで私は私の中のビジョンを保っています。あー綺麗になりたい。

 

 

「可愛い子がくるよ」。バイト先で言われてすぐピンときたその可愛い子は、面接をしにきたとき見て、あ、今までの子とはタイプの違う可愛い子だな、と思った。目がくりくりしててぽわぽわしてる雰囲気で、お人形さんみたい。まさに10人に聞いても10人が「可愛い」と評価するであろうその子は、2日後に来るはずだった。面接の結果その場でOKをもらい、では明後日お待ちしてます、との報告をしていたのを私は見逃さなかった。「可愛い子がくる‼︎」。そう思うと、気になって、早く見てみたい、仲良くなれるかな、ふだんどんなことしてるのかな、とか、いろいろ聞きたくなる。そしてさっき、バイト先のオーナーに聞いてみた。「そういえば、新しく入った可愛い子、どうでした?」返ってきた返事は__________。

 

 

「来なかった」。え?「来なかったのよ、連絡もなしで」。え?え?来なかった?それは、ちょうどその日が予定入っちゃったとかでなしになったってだけで、今度くるとか、そういうわけじゃなくて?「そう、来なかったの。笑っちゃったわよ」。え__________。

 

 

「詰めが甘い」、とオーナーは言った。「可愛い子だって聞いたのよ。だからね、もしこの子を入れたいって思ったら、それは他のとこもそうなんだから、うちだけじゃないんだから、他のお店にいかれることだってあるんだから、そういうのも考えて、その女の子が欲しいって思ったら、離しちゃダメなの。そのとき面接で採用したんなら、そのまま喫茶店でもなんでも入って、お茶しながら、その子とお話すればいいの。掴むのよ」。と。面接したのはオーナーじゃないので、悔しがっていたと思う。せっかく可愛い子がきたのにと。可愛い、は強い。まずそれだけで人を惹きつけることができるからだ。人を惹きつけるのに、視覚なしでは物事は図りづらい。「美」は人目を引くのにいちばん手っ取り早く、かつ効果的なのは一目瞭然である。可愛い、という魅力は、ばかにしてはならない、とっても大事な魔力なんである。いくら周りが「あのことってもいい子なのよ」「面白いのよ」と言ったところで、まずはその子が人を惹きつけられなければ意味がない。中身はあってなんぼだけど、中身あってこその顔、顔あってこその中身なんである。と、思うので、ああ、顔も中身も美しくありたいと思う所存です。