hellobonjour

大学生やってます

贅沢という時間

贅沢とは。

まえ、なにかのだれかの文章で、ツイッターだったっけな、「贅沢という言葉は贅沢という言葉なりの意味がある、お金があってできてこその贅沢なんだから、お金がないやつがお金があるやつのことを贅沢だなどと批判するのはお門違いだ」みたいなセリフがあって、たしかに________‼︎と共感してしまった。いいね!を押したのはいうまでもないです。

 

 

贅沢、それはいろんな事柄に用いられるものであって、お金だけじゃなく、時間の使い方もそうで、お金で時間を買う、というのももちろんそうだろうけど、お金を使わなくとも時間はみんな平等に消費されていって、その時間をどのように使うかなんて人それぞれだけど、無制限じゃない時間をいかに充実させるかって考えたらやっぱりムダな時間を過ごすことをだんだん年をとるにつれてしなくなるんだろうなあと思います。

 

 

でもムダな時間って実はすごく贅沢で、それって多分きっと一般的に考えたら学生のときまでくらいじゃない?そりゃ成人して社会人になってもムダな時間を作ろうと思えば作れるだろうけど、そういうときには周りに同じような贅沢をしてくれる人がいるとは限らない。お金も時間もだいたい似通った、学生という身分が、実はこの世でもっとも贅沢なんじゃないかと、改めて思った次第です。

 

 

お金の贅沢というより、時間の贅沢というのが今日のテーマ。自分の好きなことをして自由にのびのび楽しむっていうのももちろん贅沢だけど、なんにもしない、っていうのも最高級の贅沢品だな?と思った。品じゃないけど。なあ〜にもしないで、だらだらする、という、むだな時間の浪費っていうのは、実はすごーいこの世の贅沢使いなんじゃないかと。思うわけですよ。それができる学生ってやっぱり最強じゃない?とかも思ったり。稼ぎと、もってる時間のバランスが均衡にとれれば最高この上ないんだけど、お金がないならないなりにその代わり友達という存在がいるというのは財産だろうなあ。お金があればそりゃやりたいことやれるしもっと楽しめるに越したことはないんだろうけど、ただその時を一緒に過ごすって、贅沢であり30代40代になってなかなか体験できることじゃないよなあ、あ、だから子供のいるお母さん方はよく集まってランチしたりおしゃべりしたりしてるのか、と納得したり。くだらないことで延々とおしゃべりし続けたり、なにかせずともぐだぐだぼんやりし合ったり、時間をどう使おうがそれぞれ自分勝手ななかで、数人、数十人が集ってただ他愛もない時間を過ごすというのはなんだかとっても贅沢できらきら眩しいな〜と思ったり。そんなことを思い返しています。年寄りかな?